第二章 闘病-愛、あればこそ

  • 人々の祈り(1)


     癌の宣告を受け、もう治る見込みはないといわれ、一時は主人も「もうだめなのか」とガックリきていたらしいのですが、人間の寿命を、そう簡単に医者に決められるはずがないと思い、運勢を見てもらいに行ったそうです。そこで、 「生年 […]

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  • 人々の祈り(2)


     和歌山のおばさんは、熱心な弁天宗の信者で、今でも朝晩私達の幸せを祈って下さっています。私の具合が悪かった頃、茨木の弁天さんへお参りに来て下さり、主人と一緒にお百度を踏んで下さったりしました。  鎌倉の義母は、大山祇之命 […]

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  • 愛情で治してやる!(1)


     S病院に転院しても、CTスキャンをはじめとするいろいろな検査が毎日続きました。健康な人でもあれほどの検査が続いたら、どこか具合が悪くなるのではないかと思うくらいの検査を、死の宣告を受けた患者が受けるのですから、それはつ […]

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  • 愛情で治してやる!(2)


     主人は、若い頃、胃が弱くひどい胃下垂で、そのうえ胃潰瘍になり、手術しないとだめだといわれたことが何度もありました。しかし、それを自分の努力で完全に克服してしまいました。身長1メートル75センチ、体重わずか52キロとヒョ […]

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  • “注射づけ”に耐えて(1)


     注射の副作用で苦しむ私の様子にたまりかねた主人は、その注射を一日おきに減らしてもらうよう先生にお願いし、その間の日には丸山ワクチンを打ってもらうことになりました。 「この注射は痛くないからね」と先生にいわれ、新たな腕へ […]

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  • “注射づけ”に耐えて(2)


     利尿剤やピシバニールが効いてきたのか、腹水が減ってきました。食欲も少し出て、見舞に来てくれた方からいただいたメロンやカステラを少しずつ食べてみたりしました。病院の冷えた食事は、どうしても食べられませんでしたが、ときどき […]

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  • “注射づけ”に耐えて(3)


     急に腹水が減り圧迫されていた胃のあたりも楽になりました。丁度Sさんの奥さんがおすしをもって来て下さり、それをきれいに食べてしまい、自分でもよく食べられたものだと驚きました。  ところが、しばらくすると、いつもとは比べも […]

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  • 「おまえは、末期癌なんだよ」(1)


     いよいよ”俎板の鯉”にならねばならないのかと思っていたとき、主人が「断食道場に行かないか」といい出しました。「断食をすると腹水がとれるから」というのです。私は、「断食なんかするくらいなら死んだほうがましだ」といって、一 […]

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  • 「おまえは、末期癌なんだよ」(2)


     自分が癌にかかっていることを知り、自覚しないことには、断食などそう簡単にできるものではありません。ここへ来た癌患者は、必ず癌であることを告げられるわけです。道場のK先生に告げられて、私がびっくりしてとり乱しはしないかと […]

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  • 「おまえは、末期癌なんだよ」(3)


     断食といっても、何も食べない水断食とは違い、赤ちゃん用の粉ミルクに酵素などを混ぜて食事代わりに飲むのです。二週間ほどしてから、一週間ほど完全に水だけの断食もあります。  現代医学では「癌細胞とは、ある日、突然変異ででき […]

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  • 断食道場(1)


     でも、はじめの4、5日はピシバニールの副作用が残っていて、熱は出るし、吐き気はするわで、甘ったるいミルクなどまずくて飲めませんでした。それでも、コップに半分くらいを、我慢して少しずつやっとの思いで飲んでいました。他の人 […]

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  • 断食道場(2)


     主人にしても、食欲もなく衰弱している病人に断食をさせるなど、大変な勇気が要ったと思います。親戚の者や、私の両親など、そんなことして大丈夫かとそれは心配したそうです。K先生の著書を読み、考えに考えた末、その本をもって病院 […]

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  • 断食道場(3)


     しばらくすると、熱や吐き気もなくなり、ミルクも飲めるようになりました。少しは下痢もするようになりました。そんなとき、マッサージをする人が、 「お腹がやわらかくなってきた。もしかしたらうまくいくかもしれないな」  と、い […]

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  • 断食道場(4)


     病院では二か月間一度も入らせてもらえなかったお風呂も、入ってもよいとのことでした。身体を拭くだけでは垢はとれず、垢で毛穴が完全に塞がって腕の産毛など、角質の下にまるまって上に出ていませんでした。二カ月もお風呂に入らない […]

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  • お腹がペッチャンコになった(1)


     二週間ほどして、いよいよ水断食が始まりました。一日にコップ二杯の水以外、何も食べないで過ごすのです。他の人も皆しているのだから頑張らねばと覚悟はしたものの、空腹に耐えられるだろうかという不安もありました。  朝コップに […]

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  • お腹がペッチャンコになった(2)


     そして、いよいよ帰る日が決まり、体を慣らすためにと外泊が許されました。主人が迎えに来て、一時間ぐらい車に揺られて帰りましたが、大して疲れませんでした。私が帰って来たことを知って近所の方が、うれし泣きで目を真っ赤にして来 […]

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  • お腹がペッチャンコになった(3)


     Sさんは、私と一緒に、詩吟のお稽古をしていた初老の方でした。  元気になってもう家に帰れるんだと喜んでいた私は、びっくりしてしまいました。Sさんは、私より半年早く胃の調子が悪いと、高槻のN病院に入院されたのですが、同じ […]

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  • 三か月ぶりの帰宅(1)


     7月8日。N病院へ再入院した日から、ちょうど三か月目。新しいワンピースに、うっすらお化粧までして、懐かしのわが家へ意気揚々と帰って来ました。ミルク断食はずっと続けなければいけないということだったので、体が本当に心配なく […]

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  • 三か月ぶりの帰宅(2)


     しかし、元気になったとはいえ、完全に治ったわけではありません。癌を”退縮”させ、癌をもちながら、共存していくというのが、断食道場の方針です。気を許せば、いつ癌の勢力が増大するかわかりません。S病院にいたとき始めた丸山ワ […]

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  • 再び腹水の苦しみが(1)


     しかし、そのように細心の注意を払っていたにもかかわらず、8月に入ると、少しずつまたお腹が大きくなってきました。  あいかわらずミルクを飲み、毎日主人や子供にマッサージもしてもらっているのに悪くなっては、もうどうしたらよ […]

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  • 再び腹水の苦しみが(2)


     マッサージをしてくれる人でMさんという若い人がいました。彼女は、いつもていねいに時間をかけて、私の体にマッサージをほどこしてくれました。歯をくいしばって、お腹よひっこめと、それは一所懸命になってくれて、その真心をとても […]

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  • 再び腹水の苦しみが(3)


     その頃、主人は、私に内緒でS病院の先生に相談に行ったようです。私は、腹水が溜まってきたのだから、当然入院しなければいけないのだろうと思っていました。ところが、今度は入院しないで、週に一回だけピシバニールを注射してもらい […]

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  • 主人は家を売る覚悟だった(1)


     主人は仕事どころではなくなりました。病院の先生からも「助かる見込みはない」といわれ、何かほかによい方法はないものかと、それこそ文字どおり東奔西走、いわゆる民間療法をあれこれ探しまわりました。  また、神様にお参りしたり […]

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  • 主人は家を売る覚悟だった(2)


     9月頃から飲んでいた利尿剤も効かなくなってしまいました。それまでは利尿剤を飲んで一時間ほどは尿の出もよかったのですが、薬を飲んでも一向に尿が出ないのです。もっと強力な利尿剤にして下さるかと思って先生に話したら、 「効果 […]

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  • はよ、元気になりや(1)


     その年の11月は、私の運転免許の更新のときでした。もう運転などできるほど元気にはなれないかもしれないし、こんな状態では手続きに行くのも無理だし、このまま放っておこうかと思いました。でも、ここであきらめたら、本当にそうな […]

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  • はよ、元気になりや(2)


     いろいろ努力しても、一向によくなる様子のない11月頃が最悪の時期だったと思います。  主人は、死相が漂う私の寝顔に、夜中に何度も、息をしているだろうかと顔を近づけてみたといっていました。  一人で家に寝ている私が心配で […]

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  • はよ、元気になりや(3)


     私達の結婚は主人の祖父の後妻に来た義理の祖母が、自分の子供がないので、どうしても自分の血のつながりのある娘をということで、以前から私をと、決めていたようです。というのも、私の父とその祖母は従兄弟にあたり、当の本人同士は […]

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  • これで癌から生還できる!(1)


     されど、少しも快方に向かう気配がなく、そのうち主人も弱気になりかけていったようです。和歌山で開業医をしている従兄弟のS医師にも度々何か打つ手はないのかと頼むように聞いたそうですが、従兄弟は「とても無理だろう」といいまし […]

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  • これで癌から生還できる!(2)


     主人は、その場で、和歌山のS医師に「スクアレンのことをくわしく知りたい」と電話するなり、難波駅に向かいました。難波駅で特急電車を待つ間、近くの本屋でスクアレンのことを書いた本を探しましたが、なかったそうです。「ブームの […]

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  • これで癌から生還できる!(3)


     主人にしたら、もうこれが最後の決め手、どうぞこれが効いてくれますようにと、必死だったのでしょう。私にS医師から借りて来た参考資料を声を出して読んで聞かせ、「絶対これで治るから。今すぐ飲むように」というのでした。肝油は薄 […]

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  • これで癌から生還できる!(4)


     忘れもしません。昭和56年12月8日のこと。その日は、鎌倉から父と義母が、見舞に来てくれる日でした。いつもなら、朝食に起きて、ほんの一口くらいのご飯をいやいや食べると、すぐ二階へ上って横になってしまうのですが、その日は […]

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