人々の祈り(2)

 和歌山のおばさんは、熱心な弁天宗の信者で、今でも朝晩私達の幸せを祈って下さっています。私の具合が悪かった頃、茨木の弁天さんへお参りに来て下さり、主人と一緒にお百度を踏んで下さったりしました。

 鎌倉の義母は、大山祇之命という新興宗教の大変熱心な信者になっておりました。父は、「あれは、ばあさんの趣味だから」などといっていましたが、両親そろってお祈りしないと娘の命は助からないといわれ、とうとう義母と一緒に朝六時、夕方六時の二回、熱心に手を合わせてくれるようになりました。

 また、主人は、運勢を見てもらったとき、京都のお宮さんの、人が踏んでない所のお砂をいただいてきて、それを病院の寝ている四隅に置くと厄除けになるといわれ、毎週一回、朝四時頃に起きて車を飛ばし、平安神宮のお社の床下にもぐり、お砂を頂戴してきて、病室のベッドん足元に恭しくお祈りしながら置いてくれました。主人は、その間他人と一言も口をきいてはいけないといわれていたそうで、病室へ黙って入って来て、それはもう真剣な面持ちで、一心に祈りながら、お砂を半紙の上に置いていました。あのときの主人の真剣なまなざしを思い出すと今でも涙が出てきます。

 和歌山のおばさんも般心信経の写経をベッドに敷いてくれたりしました。私を助けたい一心で皆、それはそれは一所懸命、神仏におすがりして下さったそうです。近所の方で、金光教のお札をわざわざ岡山まで行って、いただいて来て下さった方もありました。今、こうして元気にしていられるのは、皆様のおかげと感謝の気持ちで一杯です。

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この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


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