“注射づけ”に耐えて(1)

 注射の副作用で苦しむ私の様子にたまりかねた主人は、その注射を一日おきに減らしてもらうよう先生にお願いし、その間の日には丸山ワクチンを打ってもらうことになりました。

「この注射は痛くないからね」と先生にいわれ、新たな腕への注射が始まったのですが、それが「丸山ワクチン」だったと、私が知ったのは退院してからでした。また副作用のきつい注射は「ピシバニール」という癌の薬だったこと、毎朝一回飲んでいた白い粉薬は「フトラフール」という抗癌剤だったということも、あとになって知りました。そのほか「ラシックス」という利尿剤、「アスパラK」というカリウム剤(利尿剤を飲むとカリウムが尿と一緒に出て、カリウムが不足するので、それを補うためだと聞いていました)を投与されました。また、じっと寝ているので、消化剤、緩下剤、「プリンペラン」という吐き気止め、それに解熱剤の座薬、さらに、一カ月ほどした頃になると、貧血気味になったからと、増血剤の静脈注射が加わりました。

 利尿剤は、腹水だけを尿として出すのではなく、体中の細胞の中の水分をしぼりだして尿にするとのことで、腕や足の皮膚が脱水状態となり、おばあさんのようにしわしわになって、注射針がなかなか突きささらないようになってしまいました。

 気分をまぎらすためにと、ラジオを枕元に置いていましたが、その小さな音でさえうるさく感じ、目を開けるのもつらく、ただじっと目をつぶって寝ているだけの毎日でした。それでも、たまに退屈しのぎにつけるラジオから「ルビーの指環」がよく流れていたのを覚えています。

ラジオ

この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


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