はよ、元気になりや(2)

 いろいろ努力しても、一向によくなる様子のない11月頃が最悪の時期だったと思います。

 主人は、死相が漂う私の寝顔に、夜中に何度も、息をしているだろうかと顔を近づけてみたといっていました。
 一人で家に寝ている私が心配で、主人は、長女を「休学させて看病させようか」といってくれましたが、一人で寝ていても大丈夫だからと、学校へは行かせました。

 でも、心配だからと、主人の姉が、一日おきに、片道一時間半もかけて来てくれるようになりました。 姉はお姑さんをかかえ家事も忙しいのに、せっせと通って来てくれました。そして洗濯や掃除を手早くすませ、夕方子供が帰る頃帰っていきます。それから夕食の支度やらするのだろう、忙しいのに申しわけないなと、胸が痛みました。

 三女は、まだ高校生でしたが、中学時代からの仲良しのKちゃんが、毎日学校にお弁当を二つもって行ってくれました。私が、お弁当を作れないのではと、Kちゃんのお母さんが、二人分作ってくださっていたのです。それが何カ月も続きました。

 家族や身内だけでなく、こうして子供のお友達やその御家族からも、本当に親切にしていただきました。この感謝をどう表現したらよいのかわかりません。ただ素直に静かに頭を垂れるばかりです。

 主人は、気にはなっても、全く仕事をしないで、私のそばについているわけにはいきません。しかし、会社から、夕方帰って来ると、迎えに出る元気もなく寝ている私のところへまず来ます、そして、私の顔をのぞき込み、
「ただいま。今日は気分どうだった? はよ元気になりや」
と、いうのが日課でした。そのやさしい顔を見ると、私は、ついうれしくなって涙ぐんでしまうのでした。

 その涙を、主人は、私が悲しくて泣いているのかと思い、つらそうでした。

この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


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