お腹がペッチャンコになった(3)

 Sさんは、私と一緒に、詩吟のお稽古をしていた初老の方でした。

 元気になってもう家に帰れるんだと喜んでいた私は、びっくりしてしまいました。Sさんは、私より半年早く胃の調子が悪いと、高槻のN病院に入院されたのですが、同じ詩吟仲間の方が「胃癌らしい」と泣きながら私に電話で知らせて下さり、二人でとにかく病院へ行ってみようと飛んで行ったことがありました。そのとき、Sさんは、入院した日から検査ばかりしているようでしたが、顔色もよく元気そうで、癌だなんて信じられないくらいでした。ただ、御主人は、
「もうだめですヮ。癌にかかったら助かる見込みはありません。もう二度と元気に家に帰ることはないでしょう」
 と、涙をこぼし、すっかりあきらめておられる御様子でした。私たちは、
「こんなに元気なのに、癌だなんて信じられない。きっと元気に帰れますよ」
 と慰めたものでした。本当にそう思っていました。そして、手術をして二カ月もした頃、Sさんは、元気に退院され、御主人は、退院祝いに私達を家に招待して御馳走して下さり、本当に喜んでおられたのでした。ところが、退院して四か月ぐらいして、また調子が悪くなり、私が再入院する少し前、その方も再入院されたのでした。

 ときどきお見舞に行ったりしておりましたが、私も再入院することになり、パジャマの上にガウンをはおって痛みと苦しさをこらえて「私もまた入院したわ」と病室に顔を出したら、びっくりしておられました。

 私は腹水で大きなお腹をし、Sさんは、すごく足がむくんでいました。「肝臓に転移した」と、御主人はいっておられました。Sさんは「とても、しんどいわ」と元気なくいっていました。その後、私はすぐS病院へ移ったので、それがお会いした最後と云うことになってしまいました。

 私の主人が、Sさんのご主人に断食道場の本をもって行って、「うちの家内も行っているから、こうしてなす術もなく入院しているより行ってみたら」と話したそうですが、「癌にかかったらもうだめだ。医者もだめだといっている」と、もうあきらめておられて、主人がいくら一所懸命話しても無駄だったそうです。あのとき、もし主人の話を聞いておられたら、また道が開けたかもしれないと思うと残念です。

この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


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