はよ、元気になりや(1)

 その年の11月は、私の運転免許の更新のときでした。もう運転などできるほど元気にはなれないかもしれないし、こんな状態では手続きに行くのも無理だし、このまま放っておこうかと思いました。でも、ここであきらめたら、本当にそうなってしまうような不安を感じ、何としてでも手続きに行きたいと思いました。

 何か望みをつないでおかないと、もうだめになるのではないかと、すごく不安だったのです。

 主人も同じ気持ちだったのでしょう。会社を休んで私をかかえるようにして、更新手続きに連れて行ってくれました。そのときの写真は、自分の顔とは信じられないほどやつれた、ひどい顔でした。頬はげっそりこけ、瞼もくぼんでしまい、死相が漂った顔とはあのような顔をいうのでしょう。正視に耐えられる顔ではありませんでした。

 手続きはしたものの、交通安全講習会で二時間も坐っていることなど、とても無理だったので、病気だからと話したら、「元気になったら来て下さい。それまで預かっておきます」と、いわれました。果たしてもらえる日が来るだろうか、もう手にすることはないのでは、と思いました。しかし、意外と早い翌年二月、主人の更新のとき、一緒に連れて行ってもらい、新しい免許証を手にすることができたのでした。

免許証

この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


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