断食道場(1)

 でも、はじめの4、5日はピシバニールの副作用が残っていて、熱は出るし、吐き気はするわで、甘ったるいミルクなどまずくて飲めませんでした。それでも、コップに半分くらいを、我慢して少しずつやっとの思いで飲んでいました。他の人は、一日目からすごい下痢をして、どんどん宿便が出たといっていましたが、私は下痢をしませんでした。

 同じ部屋には、胃癌の人と白血病の人がいました。私がしょんぼりしているので、心配して、もう少し濃いミルクにしたらどうかとか、頑張ってコップ一杯全部飲まなければだめだとか、アドバイスしてくれました。

 窓から外を見ると、大勢の人が元気に忙しそうに歩いています。「皆、あんなに元気なのに、どうして私はこんな病気になったのだろう」と思い、涙がこぼれてしかたがありませんでした。

 癌と知ったその後の4、5日が、一番悲しく、心も暗く落ち込んでいました。

 --ミルクはなかなか飲めないし、下痢もしないし、熱や吐き気もあるし、このまま、だんだん悪くなって死ぬのだろうか。癌で死ぬときは「痛い、痛い」といいながら、最後まで意識がはっきりしていて、とてもつらいものだと聞いたことがあり、どうせ死ぬのなら心臓まひのようにアッという間に死ねたらよいのに。いっそのこと、自殺してしまったほうがどんなに楽かもしれないと、屋上から下を見下ろしたこともありました。でも飛び降りて、即死できず、大怪我をするようなことになったら、今より大変だろうとか、落ちた時の自分の無様な姿を考えたら、飛び降りる勇気も湧いてきませんでした。

 それより、主人をはじめ、親戚の人や近所の人たちが、あんなに心配して一所懸命になってくれているのに、今ここで自分が自殺などしたら申しわけない。もしかしたら助かるかもしれないのだから、という気持ちのほうが強かったと思います。

フェンス

この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


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