主人へのつきぬ感謝(2)

 決して入院することが悪いとは思いませんが、自宅療養ができるのなら、それにこしたことはありません。明るい日差しの入る部屋で、ゆっくり寝ていられた私は、恵まれていたのかもしれません。

 人間は常に感謝の気持ちを忘れてはいけないと思います。

 私も、癌と知った頃は、自分にふりかかった不幸を呪いました。どうしてこんなことになったのだろうと思いました。
 断食道場の部屋の窓から、道を歩いている人をぼんやり眺めながら、みんなあんなに元気にしているのにと、うらやましく思いました。
 でも、やさしい主人がいて一生懸命心配してくれている、世の中まだまだ不幸な人がたくさんいるのだ、上を見ればきりがないが、私など幸せなほうなんだと思うようになりました。
 そして、元気になった今は、癌になったことさえ、幸せに思えるようになりました。

 主人の力強い支えのおかげで、癌を克服することができ、それがもとでテレビに出させていただいたり、こんな体験記が出版されることにもなったのです。

 主人がS病院へ転院させてくれなかったら、今こんな充実した生活はできなかったでしょう。最悪の場合、そのままあの世へ行っていたかもしれません。
 私を頼って来て下さる全国の癌患者さんと知り合うこともなかったでしょう。今、藁をもつかむ思いでおられる患者さんに、少しでもお役に立てれば、こんなうれしいことはありません。
 それもこれもみんな、主人があきらめずに頑張ってくれたおかげです。

 本当に一生懸命になってくれました。S病院へ転院したとき、先生に深々と頭を下げて、
「よろしくお願いします。家内を助けて下さい」
 といっていましたが、そのとき私はまだ自分がどんな状態にあるのか知らなかったので、あれほど頭を下げて最敬礼しなくてもよいのにと思ったものです。今にして思えば、主人の真剣な気持ちが、そういうところにも現れていました。

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この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


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