主人へのつきぬ感謝(1)

 56年11月頃、ミルク断食から帰ってまた腹水が溜まりだした最悪の状態のとき、自分の状態を客観的にみて、もうそう長くはないかもしれないと思ったことがありました。
 でも、まだ歩くことができるのだから、まだ年内は大丈夫だろうか。いや急に状態が悪くなったら、もしかしたら年内にだめになるかもしれないなどと考えましたが、早く死んだほうがましだなどという投げやりな気持ちにはなりませんでした。そんな不安を打ち消すよう、二度と運転できないかもしれないと思いながらも、運転免許証の更新に行ったりしたのです。

 ここであきらめたら本当にそうなってしまうような気がして、怖かったのです。

 癌性腹膜炎を起こして、腹水が溜まれば、あと数か月の命というのが、ほとんどの患者さんが辿る道だそうです。そんな状態になっても、生きる希望をもっていられたのは、主人や家族の励ましのおかげです。

 また、そのとき入院しなかったのが、私にとっては幸いしたのだと思います。私は、当然また入院しなければならないのか、いやだなあと思っていたのですが、
「今度入院したら生きて帰れないと思いますよ」
 とS病院の先生にいわれたらしく、それならできるだけ家にいさせようという主人の思いやりで、入院しなくてすんだのですが、入院していたら、どうしても先生を頼りにしてあれほどの努力はしなかったと思います。どうしてもお医者さんまかせになってしまうでしょう。
 それに病院に入ると、自然と病人らしくなってしまうような気がします。
 それに、規則や時間に厳しく、自由がきかないので、家にいるように勝手なことができません。元気になったとき、先生が「入院しなくてよかったですね」といって下さいましたが、今もS病院の先生には感謝しております。

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この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


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