神様が与えた試練(2)

 皆さんが、私のように元気になりたいと、私を目標に頑張っておられるのですから、私にもしものことがあったら、皆さんから希望を奪うことになります。そんなことにならないよう、私は二度と悪くなることはできないと思っています。

 もしかしたら、私が癌になったのは、神様から与えられた試練だったのかもしれない。その試練を乗り越え、その体験を生かして、病気で困っている人のお役に立つ人間になるような運命になっていたのではないかと思うようにもなりました。もしそうなら、もっともっと勉強して、本当にこの世に必要な人間にならなくてはいけないと思っております。
 この世に必要な人間である限り、神様は私を点に召されることはないでしょう。

 今病と闘っておられる方も、病を克服して、その体験を人のお役に立てていただきたいと思います。そういう気持ちで頑張れば、きっと病を克服できると思います。
 生きる気力を失ったらだめです。また、くじけそうになる患者の心を支え、励ます家族の力がいかに大事かということも悟っていただきたいと思います。
 その励ましに対して、感謝の気持ちをもって、その厚意に応えるよう、患者も努力しなければいけません。こんなにしんどいのなら死んだほうがましだなどと弱気になったらそれまでです。家族がいくら一生懸命になっても、本人が生きる気力を失ってはだけです。看病する人と、看病される患者の心が、ぴったり一つになってこそ、助かる道が開けるのではないでしょうか。お互いの気持ちを重んじて、頑張っていただきたいと思います。

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この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


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