大きな反響に忙しい日々(1)

 家へ帰ったら、テレビの放映中に電話番号を調べて家へ電話をかけて下さった方が、何人かあったことを知りました。ほとんどの人が、癌患者をもつ家族の方で、もう医者からは助からないといわれているが、私のことをもっとくわしく知りたい、何とか助ける手はないかという相談でした。同時に、私のように末期癌から生還する人がいることを知り、とても勇気づけられた、あきらめず頑張りますと、喜んで下さる方もあり、テレビに出てよかったなと思いました。高校時代の水泳部の後輩の一人からも電話があり、卒業以来あっていないのによくわかったなと、うれしく思いました。
 私の高校時代、父は、S製作所の工場長をしておりましたが、その後輩のお父さんもS製作所に勤めておられ、懐かしさのあまり電話したそうです。昔の友人に久しぶりに電話をもらい、当時の水泳部の人に会いたくなりました。

 それから三日ぐらい、テレビ局の電話は鳴りっ放しで応対が大変だったそうです。私の住所や電話番号を教えてほしいというこのがほとんどだったそうですが、もしその電話全部が私のほうへまわって来たら、回線はパンクしていたでしょうし、もしパンクしなかったら私は、一日中電話の前から動けなかったでしょう。
 中にはひやかし半分や、興味本位の人からのものもあるでしょうし、私のほうに迷惑がかかるといけないからと、どうしてもという人はテレビ局宛に手紙を出して下されば転送しますと、局では、いって下さっていたそうです。
 それでもなおテレビ局では教えてくれないからと、茨木市の「南」というのを電話帳で探された人、私が通っているスイミングスクールに問い合わせた人など、それから毎日、相談の電話があり、家に直接来られる人も多くなり、その応対に私も忙しい日々が続きました。

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この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


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