スイミングスクールに挑戦(3)

 一緒に週刊誌に出た人は、私ほど高熱は出ず、何か月間か続けていたら慣れて熱も出なくなったといっておられましたが、その方は、その年の暮に亡くなられてしまいました。私より少し若い方で、本当に元気にしておられたのに、どうしてそんなことになったのかと残念です。

 6月に入って、私もスイミングスクールに通い始めて、その方とも、ときどき電話で話したりしていたのですが、7月にまた入院し、また手術をし、私と同じ動注の機械をつけられたと聞いていました。

 スクアレンを飲んでみたらと、話したこともあるのですが、病院だけを信じておられるその方には、残念ながら、聞き入れてもらえませんでした。
 スクアレンさえ飲めば、と思われては困りますが、補助的に免疫を高めたりするために飲む価値はあると思います。人の親切をありがたく聞くか聞かないかが、運命の分かれ道になってしまうのではないかと思います。

 私は、免疫剤の注射をことわり、不安が少しはありましたが、その後も無事週に1回スイミングスクールに通い、入院のため中断していた和裁教室にも通い始めました。

 その頃、長女が、勤めていた会社をやめて、主人の会社のほうへ移ってきていましたが、急にヨーロッパの友人宅へ遊びに行きたいといいだし、その間、私に会社へ代りに行ってほしいというので、電話番とお茶くみぐらいなら私にもできるだろうと、会社へ行くことにしました。
 今まで、病人として過ごしていたのが、急に忙しい毎日になってしまいました。
 会社勤めの経験もなく、家庭に入ってしまった私が、50歳近くになって会社勤めをすることになるなど、夢にも思いませんでした。

 それから、もう7年になろうとしています。その間、病気の人の相談にのったりして、会社にとってなくてはならない人材になってしまいました。

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この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


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