スイミングスクールに挑戦(1)

 病院には、まだ定期的に検査に行っておりました。動注を抜き、完全に抗癌剤と縁が切れると思ったのですが、『5FU』の飲み薬を当分飲むようにといわれました。フトラフールのカプセルとか、座薬もありました。しかし、自分なりに勉強して、抗癌剤のおそろしさを知っているだけに、毒を飲まされるような気がして、もらって帰っても、飲まずにためこんでいました。

 しかし、一回に一万円以上もする飲みもしない薬代を払うのはバカバカしいので、一カ月ほどして、先生に「あの薬あまり飲んでいないので、たくさんあるのですが」と正直にいいました。「飲まないとだめですよ」といわれるかと思ったのですが、「そうですか。では当分やめときましょう」と、あっさりいわれ、拍子ぬけしました。

 病院に行く回数も減り、退屈でしかたなく、体力も回復したおかげで、体重がどんどん増えていきました。

 60年の春、そう遠くないところにスイミングスクールができたのを知り、衰えた体力を回復させるために、思い切って水泳を始めようかと思いました。でも寒いときに始めるより、少し暖かくなってからにしようと、六月から行くことにして、入会の手続だけしておきました。

ch4-01

この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


ページの
トップへ