テレビ朝日の『癌戦争』に出演(1)

 退院してしばらくは、一人で病院に行くのはまだしんどくて、二女が車で連れていってくれました。ちょうどその頃二女は、大阪音大の短大を卒業して三年へ編入するため、編入浪人をしていましたので、時間の融通がきき、とても助かりました。

 音楽が好きで、中学・高校とブラスバンド部に入り、音楽を続けたいからと音大へ行きましたが、短大ぐらいでよいと私も主人も思っていました。それが、卒業試験で声楽が一番、ピアノが10番ぐらいと意外な好成績で卒業演奏会に出演でき、欲が出てもっと上に行きたくなったようです。一年間声楽の先生について勉強しており、家事の合い間に、エプロン姿で歌の練習をしていました。

 試験も間近というのに、毎週二日は、私の病院通いで半日つぶれてしまい、かわいそうだなと思っていましたが、少しの時間を有効に使って練習したのがかえってよかったのか、無事編入試験に合格。だんだん欲が出て四年を卒業して大学院と学部専攻科を受験、残念がら大学院は落ちましが、専攻科をこの春修了し、今度は関西二期会に合格しました。家事の合い間の勉強で、よくここまで頑張ったと思います。

 私は、高校を出て会社勤めの経験もなく、結婚させられてしまい、青春時代の楽しい思い出など何もなかったので、子供にはあまり早く結婚などしなくてよいから、若いうちにしたいことをしときなさいといっています。

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この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


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