テレビ朝日の『癌戦争』に出演(2)

 一月の末頃、担当の先生に、
「免疫療法のことで、テレビ局から取材に来るから出てほしい」
 といわれ、びっくりしました。あの注射は一回しただけだし、テレビに映るのなんか、私は口下手でうまくしゃべれないからと、おことわりしたのです。しかし、癌ということも知っているし、医学的な知識もあるからと頼まれ、結局承知することにしました。

 病院の廊下で三時間以上かけてビデオ撮りがありました。二女はその間、退屈そうに待っていました。私は、はじめてのことでもあり疲れてくたくたでした。2月27日夜、8時から10時までの二時間番組で、私の顔も大病院の先生方と一緒にブラウン管に映りました。
 それはテレビ朝日の『癌戦争』という番組で、毎年二月頃、一回だけ放映される癌の特別番組で、その年が第二回目でした。
 癌と知りながら頑張っている人や、新しい治療法などが紹介されました。
 私は、中でも絨毛上皮癌と知りながら、双児の赤ちゃんを生もうとしているNさんという方の勇気には感服しました。
 その番組は、とても視聴率の高い番組で、それからしばらく病院には問い合わせの電話がどんどんかかり、応対にてんてこ舞いだったといいます。
 死の宣告を受け、ほかに何かよい方法がないかと思っている人が、いかに多いかがわかりました。

 このテレビの放映があった頃には、私の体力も回復して、一人で電車で通院できるようになりました。
 手術をしてから一年間、血液検査をしても悪いところがなく、結局点滴入院もしないですみました。

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この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


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