乗りかかった船(4)

 動注の手術の抜糸が終ると、いつまでも個室にいるのは淋しいし、部屋代ももったいないしで、六人部屋に移りました。しかし、同じ部屋に風邪をひいた人がいましたし、その部屋は北向きで一日中日光が入らないので、家へ帰って日当たりのよい部屋で寝ているほうがずっと安全だからと、無理をいって12月8日になると予定通り退院しました。

 九月のお彼岸に入院して二か月半ぶり、手術をして40日目のことでした。

 その二か月半の間に亡くなった方も何人かありました。長い間入院生活をして痩せ細って髪の毛が抜けてしまっている人、ほとんど起きる元気もない人、24時間点滴を受けている人等、本当に大変な状態の人がたくさんおられました。私のように順調にいく人は、少ないようです。でも、先生は一か月したら点滴のために二週間入院、一カ月家にいてまた二週間入院ということを当分繰り返さねばならないといわれ、あまりうれしい退院とはいえませんでした。それに、動注の薬を補給するため週二回通院もしなければなりませんでした。

 その薬は「5FU」というフトラフールと同質の抗癌剤と血栓溶解酵素のウロキナーゼという薬をまぜたものでした。血管に異物が入っているので血栓ができやすい状態だから、そういう薬をまぜねばならないのでしょう。

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この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


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