乗りかかった船(3)

 これで点滴が終りというとき、先生が走って来て、自分で開発した免疫剤を点滴の中に入れたいといわれ、その薬を入れてもらいました。少し熱が出るとはいっておられましたが、先生が開発された薬をおことわりするのも悪いと思い、少しぐらいの熱なら我慢しようと思いました。ところが、少しぐらいの熱ではなく、前のピシバニールが効きすぎたとき以上の寒気に襲われ、二時間ぐらい、布団をかぶってガタガタ震えていました。看護婦さんに、湯タンポをもって来てほしいと頼んだのですが、忙しいのか、なかなかもって来てくれず、やっともって来てくれたときは、熱が上がって、暑くて布団をはねのけているときでした。それから三日ぐらい、顔を洗うために起きているときさえ動機や息切れがして、額からアブラ汗が流れるほどしんどく、食欲もなくなってしまい、体重は三日ほどで3キロも減ってしまいました。

 私が手術をする少し前に手術をした人が、術後一カ月ほどで亡くなられ、その方が、最後の何日間か、食欲がないと全然食べようとしなかったのを見ていたので、私は食べたくなくても、横になったまま、我慢をして食べていました。ここでくじけたらだめだと頑張りました。

 あまりの熱に解熱剤も効かないありさまでした。もうこの注射は懲りごりだと、先生には申しわけなかったのですが、一回でやめていただきました。

 せっかくもうすぐ退院できると楽しみにしていたのですが、1800で心配していた白血球が1500になってしまい、「今、病原菌に感染したら大変なことになるから、しばらく退院を延ばすように」と、先生にいわれました。

 しかし、和歌山のおばさんが、退院するときはよい日を選ばないとまた入院しなければならなくなるからと、占い師に運勢を見てもらいに行ったところ、12月8日に退院するとよいということだったので、どうしてもその日に退院したいと思っていました。

ch3-31

この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


ページの
トップへ