『癌』がきれいに取れた(1)

 それまで何度も回避してきましたが、こうなる運命になっていたのかもしれません。神様が、「まだ早い、まだ早い」と、手術の時期を延ばして下さっていたような気がします。
 でも、いよいよとなると、意外に度胸がつくもので、それほどこわいとは思いませんでした。何度も手術の一歩手前までいった経験があっただけに、覚悟ができていたのか、わりと平静でした。

 昭和58年10月18日、朝9時に、手術室に入りました。手術室のある階は、エレベーターから出ると、両側に大きなガラスのドアがあり、その中に手術室がずらっと並んでいました。私はその一号室に入りました。
 手術の後4、5日は、歩くことができないので、尿道から膀胱まで管を通し、袋に尿が溜まるようにしておきます。
 手首の静脈には、畳針よりも太いと思われる、点滴用の針というよりプラスチックの管のようなものをさしこまれ、肩に鎮静剤か何か注射をして、自分のベッドに寝たままの恰好で手術室へ運ばれました。手術室に入ると、自分で横滑りに手術台に体を移動させました。

 手術室に入るのははじめてで、まわりの様子を、キョロキョロ見ていました。部長先生、担当医と、もう一人婦人科の女の先生が手術を担当して下さいました。三人の先生が入ってこられたのもはっきり覚えています。
 ねまきを脱がされ、上から毛布を掛けられました。「毛布一枚では寒い」というともう一枚掛けてくれて、「これは酸素ですからね」とマスクをかぶせられました。

 前に、麻酔用のガスはくさいと手術体験者から聞いたことがありました。私はにおいに弱く、変なにおいがすると、吐き気を感じることがあり、マスクをかぶせられるのはいやだなと思っていたのですが、ガバッとかぶせられたら、そのガスを吸い込むより仕方ありません。ところが何も変なにおいはせず、本当に酸素だったのかと安心して2,3回呼吸したら、一瞬頭がじわーんと変な感じがしたとたん、勝手に目がふさがってしまい、何もわからなくなってしまいました。

プリント

この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


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