新しい年(1)

 「年賀状を出すのはやめとくほうが」などといっていたのですが、無事お正月を迎えることができました。元旦の朝、電話で鎌倉の両親、和歌山の弁天さんにお百度参りをしてくれた叔母、スクアレンのことを教えてくれたS医師、スクアレンの入手をお世話して下さったTさんなどに、
「おかげ様でお正月を迎えることができました」
 と、感謝の気持ちを込めて、新年の挨拶をしました。

 入院していた頃は、電話の相手の声が聞こえているのに、「もしもし」の一言がどうしても声にならないほど弱っていたのが、一時間くらい大きな声でおしゃべりしても疲れないほど元気になっていました。元気な声を聞いて皆さん、とても喜んで下さいました。

「初詣でに行くが、留守番しているか」と、主人にいわれたとき、まだ不安でしたが無理をして、「一緒に行く」といいました。病院へ連れて行ってもらうのも苦痛だったのに、自分から一緒に行くといい出したので、主人も驚いていました。

 私の入院中、主人が”厄除け”にと、お砂を頂きに何度も悲壮な思いで通ったという京都の平安神宮へ、お礼の気持ちを込めてお参りに行きました。主人にとっては、一緒に来られる日が来たこと、感無量だったと思います。その帰り、近くの六盛へ寄り、手桶弁当を皆で食べました。ご飯を少し残しただけで、ほかは全部食べてしまいました。

 つい一か月前まで、一口ほどのご飯も食べかねていたのがうそのようでした。

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この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


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