主人へのつきぬ感謝(5)

 主人は高校のとき、医者になりたいと思っていたそうです。両親を早く結核で亡くし、にくい病気を撲滅したいと思っていたといっていました。しかし、戦後財産は封鎖され、両親は亡くなりで、その望みは果たせなかったのです。
 学校をずっと首席で通した主人を、先生も応援して下さったそうですが、長男である主人は、兄弟を放って、一人勉学にいそしむことはできなかったのです。

 私もまた、医者になりたいと思ったことがありました。はやり母を早く亡くしたせいでしょうか。高校の三年間生物クラブで、蛙やはつかねずみの解剖をしたりしていました。
 私の父方の祖母の生家は代々医者をしていて、今も熊本には、医者の親戚が何軒かあります。そんな血を受け継いだのでしょうか。医学的なことには前から関心がありました。でも医学部へ入る自信はありませんでしたし、「女が大学など行かなくてもよい。早く嫁に行け」と、20歳のとき、たった一回のお見合いで、否も応もなしに、結婚させられた相手が、今の主人です。

 熱烈な恋愛をしてこの人でなければと、親の反対を押し切って結婚しても、不幸な結果になる人もあれば、私達のような結婚でも、長い年月をかけて愛を育んでいけば、お互いなくてはならない者同士にもなれるのです。
 結婚生活とは、お互いの思いやりのうえに成り立つものではないでしょうか。

 病気になってもう助からないのなら、あきらめて、もっと若くて元気な人と結婚しようなどと思うようでは、本当の夫婦ではないと思います。主人も、もし私が死んで、新しい奥さんが来るようなことになって、また一からやり直すようなことはもうできないと思った、といっていました。
 私の病気という苦難を乗りこえて今、さらに夫婦の絆が固くなったと思います。

 今の仕事は、医者になりたくてもなれなかった私達に、天が与えた仕事だと思います。その仕事ができる人間かどうか、試すために私を病気にされたのだと思います。私の生命を賭けて授けられた仕事です。
 これからは、主人の片腕となって、共に病気で悩んでおられる人のお役に立ちたいと思っております。

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この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


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