愛情で治してやる!(1)

 S病院に転院しても、CTスキャンをはじめとするいろいろな検査が毎日続きました。健康な人でもあれほどの検査が続いたら、どこか具合が悪くなるのではないかと思うくらいの検査を、死の宣告を受けた患者が受けるのですから、それはつらい毎日でした。それと並行して、筋肉注射が始まりました。その注射の痛いこと。普通の皮下注射や静脈注射は少しも苦にならないのですが、この注射の痛さには私も参りました。そのうえ、跡が真赤に腫れて熱をもつのです。副作用もひどく、注射をして一時間くらいすると、すごい悪寒が襲ってきます。布団をかぶってじっとしているのですが、そのうち吐き気もしてきます。私は何とか吐かないでいようと、枕元に水を置いて口を漱ぎながら我慢していましたが、それでも、ときには我慢しきれず、吐きに行ったこともありました。悪寒をしばらく我慢していると、今度は体中が熱くなり、汗でびっしょりになります。そのとき熱を測ると、38~39度にもなっていました。その熱をインテバンという解熱鎮痛剤で下げるという日が続きました。

 熱と吐き気で食欲は全くなく、日に日に痩せていく私を見て、主人は、このままでは先生のいわれるように長くないのではないか、何か他の方法はないものかと、いろいろな本を買い込み読み漁ったといいます。嫁入り前の娘が三人もいるのに、母親が癌だなどと人に知れたら結婚できなくなるのではと、最初は隠し、一人思い悩んでいたそうです。でも、一人で悩んでいても道は開けないと思い直し、会う人ごとに現状を話し、助けを求めたそうです。にんにくの黒焼、ビタミンC・E、さるのこしかけ、ゲルマニウム等、いろいろな方から世話していただいて、「これも飲め、あれも飲め」と次から次へともって来てくれました。

 しかし、癌で余命幾許もないといわれていることなど、夢にも思っていない私は、吐き気がするせいもありましたが、くさいとかまずいとかいって飲もうとはしませんでした。今、あのとき、主人がどんな気持ちでそれらのものを私にすすめていたかを察すると、わがままをいって本当に申しわけなかったと思います。

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この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


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