再度のテレビ出演(1)

 二度目の水泳大会に出場した頃、婦人公論から私に『癌闘病記』の手記の依頼があり、12月号に掲載され、全国から大変な反響がありましt。たくさんの方から、お手紙やお電話をいただきましたが、そのほとんどがいろいろ手を尽くしたが、もうこれ以上どうしようもないと、医者から『さじを投げられた』といったものでした。なんとか私のように元気になっていただけたらと、私がしたこと、今も注意していることなど、参考になることをくわしくお知らせして、少しでもお役に立てたらと思っております。

 59年2月、テレビ番組『癌戦争パートⅡ』に出て以来、番組の制作会社から年賀状や暑中見舞など、毎年送っていただきまして、私も現況報告をしていました。
 今年のお正月には「婦人公論読みました」と書かれた年賀状をいただきました。それからすぐ、1月の中頃でしたか、『パートⅡ』のとき取材に来られたディレクターの方から電話があり、今年の『癌戦争パートⅤ』に出てほしいといわれました。前と同じようにビデオ撮りに来られるのなら出れるだろうと、簡単にお引き受けしました。

 今度は、癌の告知が主なテーマになるとのことで、癌と知りながら闘病して、今や水泳大会で優勝するほど元気になった私は一番の適役だったのでしょう。今度は告知をした本人、主人も一緒に出てほしいとのことでした。

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この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


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