つらい検査の日々(3)

 その結果、卵巣が少し腫れているからと、また婦人科へまわされてしまいました。
そこでまたいろいろな検査があり、先生は私に、「卵巣が少し腫れているから、手術しましょう」といわれました。
 しかし、主人には、
「卵巣癌の末期で、もう広範囲に転移していて、どうしようもない手遅れの状態です。とにかく急いで手術しようと思いますが、おそらくそのまま足も立たなくなるかもしれません。あと一、二カ月の命でしょう」
 と、いわれたそうです。

 主人にとっては、まさに”青天の霹靂”。後日、主人は、そのときの自分を振り返り、顔はこわばり、目の前が真暗になり、しばらくは口もきけなかったといっていました。

 入院して二、三日はまだ少しは食欲があり、ついうっかり食べ過ぎてしまい、胃袋が膨れたぶんお腹が圧迫され、苦しくて、のたうちまわったこともありました。

 同じ部屋に、ネフローゼで長い間入院している若い娘さんがいましがた、とても心配してくれました。三日目に入ると減塩食になりましたが、まずくてとても食べられませんでした。その娘さんは以前からずっと減塩食で、「慣れたら食べられるよ」といって食べていましたが、私はだめでした。先生は「これではいけない」とすぐ普通食に戻して下さったのですが、そのときには、もう食欲も全然なくなってしまっていました。

 半年前に入院したとき、絨毛上皮癌で長い間入院していた人とお友達になっていましたが、彼女はまだ入院したままで、再入院した私を見つけると、「また来たの」と懐かしそうにいいました。私も、冗談で「そう今度はおめでたやねん」と、腹水で大きくなったお腹を見せたりしていました。しかし、この頃になると、もう口をきく元気もなくなり、「しんどいの?」と心配そうに見に来てくれる彼女に返事もできず、黙って布団をかぶっているだけでした。

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この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


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