お腹がペッチャンコになった(1)

 二週間ほどして、いよいよ水断食が始まりました。一日にコップ二杯の水以外、何も食べないで過ごすのです。他の人も皆しているのだから頑張らねばと覚悟はしたものの、空腹に耐えられるだろうかという不安もありました。
 朝コップに二杯水を汲んでおき、喉が渇いたと思ったときや空腹を感じた時、それを一口か二口飲むだけで我慢するわけです。

 やらねばならないと思う心構えができると意外と頑張れるものです。六日間、水だけで過ごしましたが、それほど空腹でたまらないとは思いませんでした。ラジオ体操も毎日続け、洗濯や掃除もしました。
 テレビの料理番組を見て、元気になったら、あんなのを作って食べようと思って頑張りました。六日目、血圧が100を切ったので、このへんが限度だろうと、七日目からは薄いミルクを飲み、少しずつ濃いものに変えていきました。

 水断食に入る前は、まだ腹水が溜まっていたのですが、一週間ほどできれいになくなり、お腹がペッチャンコになってしまいました。発病前、64キロあった体重が、入院中に55キロになり、腹水がなくなったのと水断食のため48キロになりました。
 でも、体は軽く、脱力感などはありませんでした。それから三日ほどすると元の濃いミルクになり、昼食だけ普通食に戻すための補食が始まりました。

 一日目は、重湯とみそ汁の上澄に、きれいに身をとってしまった梅干の種が一つ、お皿に乗っていました。まず、その種をしゃぶって唾液をだし、胃に働くように指令を送ってから重湯を少しずつ飲むようにいわれました。

 次の日は、少し濃い重湯。次は米粒が少し入った重湯、次は三分粥、五分粥、七分粥となり、おかずも少しずつ増え、一週間ほどで普通の食事になりました。ミルクしか飲めなかったのが、いろいろ食べられるようになり、とてもうれしく思いました。

 この道場に来た頃は外に出るのが不安で、部屋で横になっていることが多かったのですが、体調も少しずつよくなり、大阪城公園を一時間近く散歩できるくらい元気になりました。メキシコからわざわざ研修に来た日本人女性が同室になった頃は、二人でよく散歩をしたものです。

この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


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