第三章 奇跡の生還

  • 良心の運んできた『お加護』(1)


     入院していたときは、病院で尿量や腹囲を計ってくれていましたが、二度目の腹水が溜まりだしてからは、毎日自分で腹囲を計り、尿の量や回数も記録していました。  その腹囲ですが、9月頃から毎日大きくなるばかりだったのに、12月 […]

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  • 良心の運んできた『お加護』(2)


     一日に2000ccから2500ccの排尿が続き、どんどんお腹は小さくなっていきました。Tさんや和歌山のS医師にも、そのことを電話で知らせると、心から喜んで下さいました。  でも、まだ週一回のピシバニールの注射の副作用で […]

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  • 新しい年(1)


     「年賀状を出すのはやめとくほうが」などといっていたのですが、無事お正月を迎えることができました。元旦の朝、電話で鎌倉の両親、和歌山の弁天さんにお百度参りをしてくれた叔母、スクアレンのことを教えてくれたS医師、スクアレン […]

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  • 新しい年(2)


     1月の中頃には、腹水もすっかり引いてしまいました。それと同時に、体重が7キロほど、その一カ月で減りました。それだけの腹水が溜まっていたということでしょう。いや、食欲も出て、少しは太ってきているはずですから、8キロ以上の […]

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  • 新しい年(3)


     スクアレンと出会う少し前、私が最悪の状態の頃、主人は道で旧友と出会ったことがあるそうです。その旧友に「顔色が悪いがどうかしたのか」と聞かれた主人は、私のことを話したそうです。すると、その人は、「岐阜にご祈祷をして病気を […]

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  • 日増しに回復する体力(1)


     二度目の腹水が溜まってから、週一度、ピシバニールの注射を続けていました。二月末のとても寒い日でしたが、いつものように注射をしてもらって帰る途中、昼食をすませようかと、千里中央で車を止めたのですが、寒くてどうしようもない […]

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  • 日増しに回復する体力(2)


     それからは月に一回、血液検査をしてもらうだけでよくなりました。  薬の副作用に悩まされることもなくなり、日増しに体力も回復し、まだ不安はありましたが、ぼつぼつ家の用事もできるようになりました。  私は、以前からミシンで […]

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  • 日増しに回復する体力(3)


     三月初め、主人が、「これだけ元気になったのだし、今なら手術にも耐えられるだろうから手術していただけませんか」と、S病院の先生にお願いしたところ、先生も「それじゃ、しましょうか」ということで手術することになりました。麻酔 […]

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  • 生きている幸せ(1)


     元気になったとはいえ、ミルク断食の後喜んだのも束の間、また腹水が溜まったという苦い経験があるだけに、まだ不安はありました。しかし、暖かくなるにつれ、体力もどんどん回復し、疲れないようお昼寝をしながらでしたが、家事もぼつ […]

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  • 生きている幸せ(2)


     58年5月3日は、私達の銀婚式の日でした。二回目の腹水が溜まった頃の「あと二年で銀婚式なのに、それまで生きていられるだろうか。せっかく23年間無事過ごしてきたのだから、せめてその日まで生きていたい」という希望が叶い、元 […]

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  • 生きている幸せ(3)


     6月の中頃、中学校時代の同窓会がありました。卒業後30年にして、はじめて開かれる同窓会でした。一人で行くのは不安だし、とあきらめていたのですが、主人が車で、会場のある福井県の小浜まで連れて行ってくれました。  二年前、 […]

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  • 評判よぶ『スクアレン』(1)


     奇跡的な回復を示した私のところに、まず近所の人が、 「遠縁に癌の人がいるのだけれど、南さんは、どうしてそんなによくなられたのですか」  と、相談に見えました。  私は、自分の体験をくわしくお話して、飲んでいるスクアレン […]

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  • 評判よぶ『スクアレン』(2)


     Tさんからスクアレンをお世話していただくには限度がありました。それに、私自身、毎日20粒くらい飲んでおりましたが、それだけで一日4,000円ほどかかりました。正直いって私のために、こんな高価なものを、という申しわけなさ […]

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  • 評判よぶ『スクアレン』(3)


     にわか仕込みとはいえ、スクアレンに関する知識も少しは深まりました。たとえば、深海ザメの肝油を精製してスクアレンという成分だけをとり出し、ゼラチンカプセルに密閉し、空気に触れさせないようにしたものが、健康食品としてのスク […]

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  • 再々入院、手術決行(1)


     ある日、SBさんの話で、少量の血液で卵巣癌の検査をする先生がいる病院があることを知り、「こんなに元気になったのだから、どの程度の数値が出るか調べてもらおう」と、軽い気持ちでその病院に行きました。検査は「IAP」という一 […]

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  • 再々入院、手術決行(2)


     IAPは正常値でしたが、超音波で見ると、握り拳大の癌らしい”かげ”があり、そのうえに嚢腫らしいマスカット大の袋状のものが、はっきり写っていました。上向きに寝てお腹をなでると、はっきりゴロッとしたものがあるのは、自分でも […]

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  • 再々入院、手術決行(3)


     そんなある日、これが最後の検査ということで、超音波で見ながら、嚢腫の袋状の一つに注射針をさして中の水を抜き取り、その水を分析する検査がありました。腹部に麻酔の注射をして、痛くないようにしたのですが、何か変な不快感があり […]

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  • 再々入院、手術決行(4)


     先生は、毎日手術の決心がつきましたかと、聞きに来られるし、困ってしまいました。そのうち私も、こんな熱や痛みでつらい思いをしているより手術をして早く楽になりたい、と思うようになりました。  お腹が痛くならなかったら、手術 […]

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  • 『癌』がきれいに取れた(1)


     それまで何度も回避してきましたが、こうなる運命になっていたのかもしれません。神様が、「まだ早い、まだ早い」と、手術の時期を延ばして下さっていたような気がします。  でも、いよいよとなると、意外に度胸がつくもので、それほ […]

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  • 『癌』がきれいに取れた(2)


     それからどのくらい時間が経ったのか-全然時間が経ったという気はしなかったのですが、頬をペタペタと叩かれて、ぼんやり気がつきました。  熟睡して目が覚めたら、さっき寝たのにもう朝かと思うことを、健康な人なら体験したことが […]

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  • 『癌』がきれいに取れた(3)


     この病院は、手術の後、すぐそのまま他の患者さんと一緒の六人部屋に入ることがほとんどでしたが、いろいろ不便なこともあるので、私は手術後個室に移されました。病室へ戻ると、主人と二女、私の妹、鎌倉から来た義母、和歌山のおじさ […]

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  • 『癌』がきれいに取れた(4)


     手術中、何時間も裸同然で手術台の上に乗せられていたのだろうと思います。部屋へ帰ってから、寒さで体がガタガタ震えてとまらず、困りました。寒いからと、横向きになって体を縮めることなどできず、大の字になったまま震えていました […]

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  • 『癌』がきれいに取れた(5)


     手術前のまだ六人部屋にいた頃、横のベッドに手術をした人がいたのですが、すごく痰がからみ、それを吐き出そうとすると切り口が痛むようで、見ているほうが、代わりに咳をしたいような気になったのですが、幸い私の場合、そんなことも […]

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  • 手術後の経過も順調(1)


     次の日の朝、長女は病院からそのまま出勤し、入れ違いに主人が来て、一日中そばにいてくれました。義母も昼から来て、元気な様子に安心して鎌倉へ帰りました。父は、手術の前日まで、義母と一緒に来ていたのですが、娘の手術が終るのを […]

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  • 手術後の経過も順調(2)


     三日目は、二女が、朝から来てくれました。手術の次の日は重湯だったのが、三分粥になりました。  朝からガスが、お腹の中でゴロゴロ動くようになりました。でも、ガスが溜まったという感じはあっても、お腹に力がいれられないので出 […]

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  • 手術後の経過も順調(3)


     四日目の朝、おかゆと梅干の食事をすませしばらくしたら、便意を催してきました。  排尿の心配はないのですが、大便のほうは看護婦さんの手を煩わさねばならず、いやだなと思ったのですが、我慢するわけにもいかないので、便器をもっ […]

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  • 手術後の経過も順調(4)


     五日目の夕方、やっと尿道に通してあった管が取れました。はじめて歩いてトイレに行くとき、足がふらつき、赤ちゃんのつたい歩きのようにして行きました。でも、頭がくらくらしたりはしませんでした。  寝たり起きたりするときは、傷 […]

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  • 手術後の経過も順調(5)


     八日目、九日目と二回に分けて半分ずつ抜糸しました。先生が糸を抜くのを、さすが上手に取られるなと感心してみていました。  糸が抜けたら傷口が開かないかと心配でした。外科の男の人で、大きなくしゃみをしたとたんに、傷が開いて […]

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  • 乗りかかった船(1)


     一週間ぐらい微熱があり、抗生物質の入った点滴が続いたのですが、熱が治まると、用心のためにということで、抗癌剤の点滴が始まりました。  前にS病院で飲んでいたフトラフールを、今度は点滴でしばらく入れることになりました。先 […]

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  • 乗りかかった船(2)


     11月4日、再び手術室に入りました。今度は腰椎麻酔で、体をエビのように曲げ、背骨に注射をされました。この注射は、すごく痛いと聞いたことがあり、覚悟していたのですが、それほど痛いとは感じませんでした。  注射したとたん、 […]

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  • 乗りかかった船(3)


     これで点滴が終りというとき、先生が走って来て、自分で開発した免疫剤を点滴の中に入れたいといわれ、その薬を入れてもらいました。少し熱が出るとはいっておられましたが、先生が開発された薬をおことわりするのも悪いと思い、少しぐ […]

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  • 乗りかかった船(4)


     動注の手術の抜糸が終ると、いつまでも個室にいるのは淋しいし、部屋代ももったいないしで、六人部屋に移りました。しかし、同じ部屋に風邪をひいた人がいましたし、その部屋は北向きで一日中日光が入らないので、家へ帰って日当たりの […]

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  • テレビ朝日の『癌戦争』に出演(1)


     退院してしばらくは、一人で病院に行くのはまだしんどくて、二女が車で連れていってくれました。ちょうどその頃二女は、大阪音大の短大を卒業して三年へ編入するため、編入浪人をしていましたので、時間の融通がきき、とても助かりまし […]

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  • テレビ朝日の『癌戦争』に出演(2)


     一月の末頃、担当の先生に、 「免疫療法のことで、テレビ局から取材に来るから出てほしい」  といわれ、びっくりしました。あの注射は一回しただけだし、テレビに映るのなんか、私は口下手でうまくしゃべれないからと、おことわりし […]

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  • ついに『奇跡』を勝ち得た(1)


     四月頃には病院の帰り途、百貨店をぶらぶらしても疲れなくなりました。  半年の約束で動注をつけたのに、なかなか抜いてもらえず、ちょうど一年つけていました。  その間、お風呂に入ることができず、シャワーだけという不自由な生 […]

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  • ついに『奇跡』を勝ち得た(2)


     CT、RI、腹部胸部のレントゲンなど、いろいろ検査がありましたが、どこも異常はなく、やっと動注の管を抜くことができ、本当に身も心も晴ればれした気持ちで退院しました。  あれほど強硬に手術をすすめた先生も、本当はこんなに […]

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  • ついに『奇跡』を勝ち得た(3)


     今度も、和歌山のおばさんに、退院する日を占ってきてもらったのですが、北のほうで一泊してから家に帰るとよいとのことで、退院祝いも兼ねて、家族皆で箕面温泉へ病院から直行しました。一年ぶりに心おきなく入れるお風呂が温泉の大浴 […]

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  • ついに『奇跡』を勝ち得た(4)


     癌の告知がよく話題になりますが、自分が癌になったときは、本当のことを知らせてほしいと思いながらも、家族の他の者が癌になったときは、告知はしないという矛盾した”アンケート結果”を新聞で見たことがあります。私も正直いって、 […]

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