人々の祈り(1)

 癌の宣告を受け、もう治る見込みはないといわれ、一時は主人も「もうだめなのか」とガックリきていたらしいのですが、人間の寿命を、そう簡単に医者に決められるはずがないと思い、運勢を見てもらいに行ったそうです。そこで、
「生年月日から推して、昭和56年という年は、奥様にとって一生のうちで最悪の年だが、これを通り越したらまたよくなる」
 といわれたそうです。それから、家の東北の方角にあたるN病院は、私の年まわりからいって一番悪い方角だったそうで、S病院は南西の方角にあたり、「変わってよかったですね」と、その易者にいわれたそうです。そんなことは知らずに病院を変えたわけですが、これで運が開けると、主人は安堵したといいます。

 また、S病院を紹介して下さったSさんは、インドの神様「サイハバ」の熱心な信者で、毎日お祈りを欠かさず、週二回はその教会へお参りに行くという、信仰心の厚い方です。私のことを心から心配して下さり、毎日祈って下さったそうです。週二回教会には大勢の信者さんが集まり、敬虔なお祈りが何時間もあるのですが、Sさんは、「友人の奥さんが癌の末期で、死の宣告を受けている。皆さんの力でぜひ助けてほしい」、とお願いして下さり、見ず知らずの私のために、皆さんが一所懸命お祈りして下さったそうです。

 少し元気になってから、私も何度かお参りに行きましたが、きれいなサリーを着た女性、頭にターバンを巻いた濃い髭の男性、目のくりくりしたかわいい子供達が、熱心にお祈りしておられました。私が元気になり、お参りに来たのを知って、みんな口々にたどたどしい日本語で「ゲンキ?ヨカッタネ」といって喜んで下さり、異郷の人まで私のことをこんなに心配して下さったのかと、感謝の念に耐えませんでした。

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この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


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