ついに『奇跡』を勝ち得た(3)

 今度も、和歌山のおばさんに、退院する日を占ってきてもらったのですが、北のほうで一泊してから家に帰るとよいとのことで、退院祝いも兼ねて、家族皆で箕面温泉へ病院から直行しました。一年ぶりに心おきなく入れるお風呂が温泉の大浴場。それも夕方早く、一人もお客さんが入っていない。一人で思う存分手足を伸ばして、ゆっくり入ることができました。あのときの解放された気持ちは、今も忘れられません。もう、これで癌との闘病生活にお別れだと思うと、うれしくてしかたありませんでした。主人や子供達も本当に喜んでくれました。

 退院するときには、Hさんがお祝いにと、大きなバラの花束をもって来て下さり、温泉へ着いたら会社のNさんからも大きな花束が届いていました。思いがけず立派な花束を二つもいただき、花にうずもれて退院祝いの記念写真におさまりました。

 このうれしい日を迎えるまで、本当にいろいろな苦労がありました。それを乗り越え、元気になれたこの幸せを、もう二度とくずしたくないと、つくづく思いました。

 もしN病院で、癌細胞が活発に増殖している状態のとき手術していたら、和歌山のS医師がいわれたとおり、そのまま足も立たなくなり、体中に癌が広がり、手のつけようがなくなり、一、二カ月であの世へ行っていたかもしれません。この二年間、いろいろ努力した結果、免疫力が高まり、癌も”退縮”して、手術に耐えるだけの体力もでき、それからの手術だったからよかったのだと思います。

 病と寿命は別だとよくいいますが、私にまだ寿命があり、運もよかったのでしょう。それにも増して、主人が、あきらめずに、よいと思うことを、人から親切に教えられたことを、何でも次々実行してくれたおかげだと思います。
 それと、私自身癌であると知らされなかったら、いくら主人が一生懸命になってくれても、そんなものいらないとか、まずいからいやだとかいって、素直にいうことをきかなかったと思います。少し調子がよいと油断して、また悪くなったりして、今のような健康を勝ち取ることはできなかったと思います。

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この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


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