ついに『奇跡』を勝ち得た(1)

 四月頃には病院の帰り途、百貨店をぶらぶらしても疲れなくなりました。

 半年の約束で動注をつけたのに、なかなか抜いてもらえず、ちょうど一年つけていました。
 その間、お風呂に入ることができず、シャワーだけという不自由な生活をしなければなりませんでした。そのうえ副作用で、背中の一部がただれて、ジクジク汁が出て痛く、上を向いて寝ることもできませんでした。

「59年11月24日(土)小雨」と日記にある……。一年ぶりに動注を抜くために入院した日です。
 看護婦さんの顔ぶれも一年前と変わらず、懐かしく思いました。今度の部屋は、南向きのとても日当たりのよい部屋でした。

 27日は、私の47歳の誕生日でした。55年11月、原因不明のまま入院、58年手術のため入院と、これでも三回も病院で誕生日を迎えることとなりました。
 二女がケーキ、主人が琥珀のネックレス、長女が鮫小紋のふろしき、三女がヨックモックのマロンチョコレート、会社のHさんがミニバラと組み紐の手づくりの帯じめと、プレゼントを次々もって来てくれました。

 発病以来甘いものと肉類は口にしないと決めていましたが、少しぐらいはいいだろうと、病室の人にも分けて、皆でケーキを食べました。

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この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


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