S病院へ転院(2)

 S病院に着くと、和歌山のおばさん、堺に住む主人の妹、大阪市内にいる主人の姉、武庫之荘にいる私の妹が、待ち構えてくれていました。手遅れの癌であと一、二カ月の命と聞き、皆びっくりして駆けつけてくれたのでしょう。私は、あまりのものものしさに、何事かとびっくりしました。すぐ車椅子で診察室へ連れて行かれ、超音波などの簡単な検査をして病室へ入りました。

 部屋は個室でした。それから毎日、近所の人、親戚の人らが次々とお見舞に来て下さり、”みんな、こんなに私のことを心配して下さっているのか、有難いな”と感謝の気持ちで一杯でした。
 まさか癌であと一、二カ月の命といわれていることなんて夢にも思っていませんでしたから、ちょっと入院したくらいで、こんなに大勢の方がお見舞に来て下さり、私は幸せ者だと喜んでいたのですから、おめでたいものです。

 それにしても、卵巣が少し腫れたくらいで、どうしてこんなに腹水まで溜まるのだろう。私自身、おかしいなという気持ちに全然ならなかったといえば、嘘になります。
 前年入院したとき80過ぎのおばあさんで、2.5キログラムにもなった卵巣嚢腫を手術した人がいました。
 高齢なのに二週間で元気に退院していかれたのにと不思議に思い、看護婦さんに聞いてみましたが、「いろいろなケースがあるからね」といわれ、そのときは、そんなものかと思っていました。

 お腹の皮は伸びるだけ伸び、パンパンに張り、つきたてのお餅のようにピカッと光っていました。頭のほうを少し高くして寝ると、少しは楽でしたが、ベッドを平らにすると、胸が苦しくてたまりませんでした。肋骨の間がメリメリッと剥がれて、腹水が胸のほうまで押し上がってくるのではないかと思うほどでした。背中も痛く寝返りをしたいのですが、横向きになるとよけい圧迫され、苦しくてそれもできません。苦しさと痛さでほとんど眠れない毎日でした。

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この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


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