S病院へ転院(1)

 チューブを腹部にさしこまれ、身動きできない状態でベッドにしばられていたとき、主人は混乱した頭のまま、大阪のS病院と高槻のN病院の間を行ったり来たり、親戚や知人に電話をしたり、それは大変だったようです。
 半年前、二十日間も入院し、その後も通院していたのに、今頃になって、
「手遅れでもうどうしようもありません。治る見込みはありません。お気の毒でした」
 ですまされるものでしょうか。主人がその言葉を聞いたときの腹立たしさはどんなだっただろうと思います。それも病名を見つけたのは内科の先生です。治る見込みがないという先生を「信頼せよ」といわれても無理です。手術をしても助からないといわれて手術をしてもらうわけにはいかない。主人は、病院を変えようと、一日中考えた末、決断したといいます。

 前からS病院を紹介するからといって下さっていたSさん夫妻にお願いし、N病院からS病院へ移ることになったのです。
 4月18日の朝、まだ八時頃だったと思います。詩吟の先生と、仲良しのお稽古仲間であるMさんが、主人と一緒にバタバタと病室に入って来ました。面会時間でもないのにどうしたのかと思っていると、急に病院を変えることになったのだと、手際よく荷物をまとめてくれました。しばらくすると、先生が来て、お腹にさしこんであったチューブを抜き、大きなガーゼをあて絆創膏を貼ってくれました。パジャマの上にガウンを着たまま、車椅子で外へ連れて行かれ、婦長さんに見送られながら、私は主人の運転する車の中に横たわりました。

 そして、そのまま、名神、阪神高速と朝のラッシュ時の中をS病院へと運ばれて行ったのです。

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この記事は昭和62年10月発行の書籍『「主治医」はだんなさま』より転載しています。


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